北宋の政治家にして文人である王安石は、国家財政の立て直しを期して既得権益に挑戦する新法を打ち出すが、妥協を知らない性格から旧法派と衝突し、改革は挫折。国内はグダグダの派閥闘争となり自身は左遷され、国家は金に破れる。
だから王安石自身は、急進派かと思いきや、以下の文章を読むと印象変わりますね。自分の正義を貫くというより、信じる友に付き添って、ゆっくり着実に中庸の境地に向かうことができれば、それで十分だとします。
「子固(友人の名前)「友を懐ふ」一首を作りて予に遺る。其の大略は相ひひきて以て中庸に至りて後に已まんと欲す。 正之(友人の名前)も蓋し亦た常に爾云ふ。夫れ安駆徐行し、中庸の庭をへて、其の堂に至るは、二賢人なる者を舎いて誰ぞや。予昔より敢へて自ら必ず其の至ること有らんとするに非ず、また左右に従事せんことを願ふのみ。助けて之に進まば、其れ可なり。」『王文公文集』より
王安石ほどの賢人にして、人は独りで学ぶものではなく、他者の存在や影響が必要なのだということがよく分かります。