一見すると、世の多数のビジネスパーソンに哲学を武器として与え、その知的生産性を上げようとしているように見えます。しかし、どうでしょう。
冒頭ではリベラルアーツはエリートのものとされています。オックスフォードのPPEとかフランスのリセとかにいける層が学ぶとされてますね。仮に東大文一クラスとしたら、偏差値68、上位3.5%位の層がリベラルアーツが役に立つ層です。
え、そこまで優秀でなくても努力すればいいのでは?と思ったあなた、残念なお知らせです。p283「公正世界仮説」の章では、努力によってパフォーマンスの差が説明できる度合いのところで、知的専門職は1%以下とされてます。99%は生まれつきの頭の良さで決まります。努力してもほぼ生まれつきの差が解消されません。
じゃぁ一般人はどうなるんだ?という人は、アレント「悪の陳腐さ」の紹介を見てみましょう。平均人はシステムの中で正当とされることを疑わないがゆえにかえって大きな過ちを犯すとされています。
以上合わせるとどうなるか。
平均人に世界を任せるな。
知的エリートだけがリベラルアーツで陳腐な悪に陥りがちなシステムを批判することができる、エリート教育に力を入れよ。
うーむ🤔 かなりドギツイ大衆社会批判ですね。
まぁ冒頭のアスペン研究所もオルテガが関わったとか言いますし、もともと大衆社会への批判的視点があるのです。
ドギツイけど、正しさもあります。そもそも、リベラルアーツとは奴隷制度を前提とした学問です。市民、奴隷という差があるところで、国防を担うエリート市民にだけ許されたのがリベラルアーツ。決して平均的なビジネスパーソンが手を出していいものではない。平均人は、簿記とかエクセルとか英語とかやっておけばいい。
タテマエつまり顕教としては、リベラルアーツは過去の過ちを避けるために役立ちますよとしつつ、ホンネつまり密教では大衆社会に気をつけろ、エリートは特別に教育されるべき、差別的待遇を受けるべきといっているのが本書なのでした。
どうでしょうか、まぁ著者ならば、「そこまで言ってはいないよ、平均人でも哲学は武器になるよ」と反論されるかもしれません😏