エリクソン 第2回

https://honto.jp/netstore/pd-book_28764597.html
#エリクソン 第2回
アイデンティティという概念を作ったのが、エリクソンです。
ただ、この概念は、必ずしも自己像みたいな意味では用いられていません。エリクソンにとってそれは誤りです。

「パーソナリティ心理学や社会心理学には、アイデンティティ、またはアイデンティティの混乱としばしば同一と見なされているいくつかの用語がある。たとえば、一方では、自己概念、自己像、自己尊重など、他方では役割多義性、役割葛藤、役割喪失などである。しかし、(中略)この領域をそのような用語で置き換えるのは、明らかに誤っていると思われる。」p13

むしろ、エリクソンにとってのアイデンティティは、自身と自身が所属する共同体の相互作用の中で形成されるものです。つまり、民族や社会、文化、歴史といった問題と切り離すことはできません。

「われわれは、個人の中核に、かつ、彼の共同体文化の中核に「位置づけられた」過程、つまり、実際、これら二つのアイデンティティのアイデンティティを確立する過程を扱っているからである。ここでアイデンティティの複雑さを測るために立ち止まって最小限必要のことを述べるとするならば、次のようなことを端緒にすべきであろう(それを述べるために、少し時間をとることにしよう)。心理学の用語で言えば、アイデンティティの形成は、反省と観察の同時的な過程を含んでいる。これは、精神活動のあらゆるレベルで働く過程であって、この過程によって人は、そうすべきだと彼が理解したところにしたがって自分を判断し、他者は、自分自身や彼らにとって重要な類型との比較で彼を判断する。他方彼は、彼を判断する他者を、彼らと、彼にとって適切となった類型との比較において自分を理解するしかたにしたがって他者のやり方を判断する。」p12

このように、個人と共同体の相互作用においてアイデンティティを捉えるのですから、共同体が置かれた歴史によって、その課題は変わります。

「アイデンティティの問題それ自身は、歴史的時代と共に変化してゆく。実際、それは歴史の産物なのだ。したがって、アイデンティティの問題について議論するということは、そしてわれわれ臨床家の意見が求められているこの時代に、その諸側面を描写するということは、文化的歴史に立ち入ること、またはおそらく、文化的歴史の道具になることを意味するのである。」p18

民族の歴史、国家の歴史について考え、そこから個々人のアイデンティティを考えること。エリクソンはこうした方法論を、当時の一般的な心理学や精神分析学とは異なる独立したものとして、打ち立てようとしていたようです。

現在、パーパス経営や、LGBTの問題が盛んに論じられています。しかし、エリクソンを取り上げてそこから論じようとしたものを、私は寡聞にしてよく知りません。
よくあるのは、「自分がこうありたい」という想いや社会構成主義に基礎付けて、あたかも自分が思えば概念が変わるというような考え方ですが、さらにこの背景には、リベラリズムがあります。リベラリズムは現代の支配的イデオロギーですので、反対するものではないですが、思考の経済性は必ずしも豊かな思考を意味しません。

支配的なイデオロギーが暴走したらどうなるのかを知るためにも、もう一度、エリクソンの試みを勉強しておいたほうがいいように思いました。

この記事を書いた人